おらっちにも人生を変えた言葉はあるのだ2

こんにちは~、今日は先日の記事の続きを書くchiguです。


あ~じゃなきゃいけない、こ~じゃなきゃいけないという思い込みのやっかいなところって

それが自分に向くだけじゃなくて、他人や世に起こる出来事にたいして

いちいちダメ出ししちまうってことだったねえ、今思い返すと。

自分にも他人にも厳しいってやつ。

それが仕事なんかだと、自分は出来るから他の人にも同じように出来てほしいという

けっこうおそろしい勘違いまでついてくる・・・

いや、おいらは真面目にそういうサラリーマンであったと思う。こわいですねえ。


そういうスタンスで暮らしていると

朝ごはんの席でニュース見ながら、ある出来事のマスコミによってほんの一部切り取られた情報にたいしていちいち良いの悪いのって言いがちになったり

電車に乗っていようが公園を歩いていようが、些細な他人の言動にあ~だこ~だと思ったり

人と会話してたっていつの間にか批判しようとする自分がいたりさ。

しかも正義をかざしているようで、自分の日頃のストレスもついでにのっけてるだけだったりしてさ。それに無自覚でさ。おう!こわい!


朝ごはんはもっと美味しく食べたら良いよねえ。

イライラしないで電車乗りたいし、公園にいるんなら気持ち良さを感じたい。

せっかく一緒に過ごしている人をいちいち批判しなくたっていい筈なんだけど。


何がきっかけか本当に思い出せない、でもとにかく、だんだんとそういうのをやめたいな~と思うようになった。

もともとがすごくエエカッコしいだから、ひょっとして「宇宙みたいに心が広かったらカッコイイのにな」くらいのしょうもない動機だったのかも知れない。


相方の影響もけっこうあったと思う。

相方の何考えてるのかわからないくらい飄々としているところが羨ましかったりさ。

私がテレビ見てブースカ言ってると「まあいいじゃない」って言われて「なにさ~、自分ばっかり余裕こいちゃってさ~」って思ったりさ。

いやそれがね、後で聞くと、相方はあまのじゃくだから私と逆のことを言ってただけだそうです。なんだよ、そうだったのかい。


そして、創作活動をしていて行き詰ってきたときに「自分から自由になるのが一番むずかしいんじゃ~!」ということに気づく日が来る。

環境や人から自由になるのはそう難しくない。

えい!と勇気を出して、そこを離れりゃいい。今までもそれはやってきた。

でも自分とは当然ながらいつも一緒。

その自分のこだわりや創作活動についての思い込みが、すごい足かせになっていることに無意識のところでは気づいていたんだと思う。

ほんの少しずつではあるけれど、自分を守るように人の創作のありかたをあ~だこ~だということから離れる練習を始めた。まあ、そういうのがカッコ悪いと思うようになったってのもある。エエカッコしいだから。

あるとき、他の創作活動をしている人が別の作家さんについてあれこれ言っているのを聞いていて息苦しくなってその場を離れ、「なんであんなにいろいろ言うんだか…」ってやっとこさ深呼吸したとき、あれって少し前までのアタシそのものだよ、って気づいたときもあった。

自分を不自由にしていたのは自分でしたか。

自分が良かれと思って抱えてきたこだわり。

ものを作る人間がこだわりを持っているのは決して悪いことではないと思うけどなあって考えてみると、

作るものに対してこだわりがあるのは良いけど

それが自分に向くと不自由なだけかってことだったんだね。


そういう流れがいくつかまとまってきて、自分を変えるのに効果的だった言葉こそが「べつにい~じゃね~か」だったわけよね。

これを唱えたら翼が生えて羽ばたけるってもんではないけれど。

べつにい~じゃね~か、とそのまんま眺めていられる練習の繰り返しで、そのうち自分のこともそうやって眺められるようになり、これから自分がやろうということも多少勇気が要ったとしてもOKを出せるようになった。

こだわっていたことの多くがけっこうどうでもいいことだったのも、分かってきた。

ここ2年ほどですかね、それで人生が変わってきたように思う。


で、今、それが作るものにもやっと向けられるようになっているところ。

長くなったのでそれはまた後日に書きまする。


こだわりが無くてうらやましい限りの白チワワ。だから犬のいる生活って好きだよ。

chiguのアトリエ自由帳

手織り・手紡ぎ、そしてオートクチュール刺繍を手掛ける作家chiguのブログです。

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