で、続き。ヤクを紡ぐ

というわけで続けて書きます、気合の入ったchiguです。

感覚がフレッシュなうちに書いておこうと思って。


ヤクの内毛の紡ぎに着手した。

ちなみにヤクは4月にも紡いでいて、マフラーには足りないから買い足したのだ。

えっと、ヤクはやっぱり難しいです。

と昨日、着手してすぐはそう思ったが。

それは始めだけで、紡毛機の調整がうまくいくとあとはびっくりするくらいスムーズ。

紡毛機の調整というのは、引きの強さと回転数。

他の素材を紡ぐ時よりもずっとデリケートな調整をしないと、すぐに切れてしまう。

回転数はやや落とし気味、引きの強さはかなり弱め。

それがぴたっと合うと、もともとすべすべした(むしろぬるぬるした、と言っても良いくらい滑りが良い)素材のヤクの毛は、まさに手のなかで勝手に糸になってするすると出てくるのだ。

自分が紡いでいるのに自分はいなくても良いんじゃないかってくらい、勝手にするすると。

そうなるとものすごく楽しい。

そんなわけで、リズムがつかめればヤクを紡ぐのはけっこう早い。


色もすごく好き。


糸紡ぎで学んだことは、ああしよう、こうしようとコントロールしようとせずに素材がそれなりに糸になっていくに任せる姿勢。

太さやぽこぽこ加減や手触りはもともとの素材なりになっていくもので、そこに私の「こうなって欲しい」といった意図は必要ない。

私は彼ら(?)が糸になりやすいように紡毛機の調整だけしっかりしてあげて、あとは手から糸になって出てくるのを巻き取ってあげれば良いのだ。

これまでのものづくりに無かった新鮮な感覚なんだよな、これが。


偶然と言いますか、この「コントロールしようとしない」はここ数年の私の人生のテーマの一つでもある。

周りの人にこうして欲しい、こうなって欲しいという意図を向けないこと。

今の状況に無理な力を加えないこと。

もちろん、自分のなかに「自分の人生がこうだといいな」「こうなるといいな」という希望はあるよ。

ただ、そのために周囲にコントロールしようとして力を加えないってことね。

特に人に対してそれを向けると、遠回りすることになる。あるいは結果的に思い通りになったとしても、本質的にうまくいったとは言えないことになりがち。

そのことに気づいたのはここ数年で、だからテーマになったのだ。


ただ目の前にいる人のあり方を尊重して、それだけで良いんじゃないかな、と今は思ってる。

そううまくいかないことだってそりゃあるけどさ。


私にとって最も大事なことって、魂が自由でいること。

何かをコントロールしようとしない時、私も自由でいられるんだよね。


ちなみに「こうあるべき」とか「ふつうはこうでしょう」と言うのはもっとずっと前からすごく苦手で、そういう考え方をしないようにしているし、人にも世間にもそういう視点を向けないようにしてる。

つまりさ、のっけから「こうあるべき」と決めてしまわずに、その時、その人、その状況を個々でとらえてその上で考えるってこと。

そうすると案外、「べき」でばかりでないことがたくさんあることに気づく。

すると在り方の可能性ってすごく広がっていく。

「そういうものだから、そうあるべきだよ」というあり方は私には沿わない、しっくりこない。

私にとっては「私はこう思う」「あなたはそう考えているんだね」の方がはるかに大事。

あなたがそうするには、あなたの理由があるんだね、の方が。


だから「こうあるべきでしょう」と言われたら、「あなたはそう思っているんですね」とそれは尊重するけれど、私はそうあろうとはしない。私もそう思わない限りは。


私はあなたを大事に思う。そして同じように、私を大事にしている。


おっとなんだか話が逸れたが、糸紡ぎをしていると同じような心境になるのだ。

「ふつう、ウールってこうでしょう?!」なんて言っても仕方ない。

あるいは「シルクなんだからこうなって欲しいんだよね」とか言っても息苦しい。

たった今、目の前にある素材が自然と糸になっていける、その環境だけ整えればいい。

そうして生まれてきた糸が、次は自然に布になれるように、織り方でサポート出来たらどんなに良いか。

いや~、先が長いな~!

でもそうやって追求したいことがあるって、本当に楽しい。静かにワクワクする。

というわけで、今日は一日ヤクを紡ぐか。



chiguのアトリエ自由帳

手織り・手紡ぎ、そしてオートクチュール刺繍を手掛ける作家chiguのブログです。

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